かも井です。湿度がすんごいね。

今日は毒親も色々という話。

毒親というワードが浸透していても、その漠然としたイメージは暴力だったりネグレクトだったりとまだまだ「対外的にわかりやすいもの」が強いですね。

暴力親や育児放棄親はもちろんカスなんだけど、厄介なのは「毒に見えない毒親」だなあとしみじみ思います。外面がよかったり過保護だったりは毒認定されないし、子もそう思えないことが多々ある。「育ててくれたから」「暴力されたわけじゃないから」「心配性なだけだから」と親を肯定したがる子、あるいは「私が悪いだけだから」と自分を犠牲にする子が多いこと。私もそういうタイプだったのだけど、実際は考え方が根本から間違っているんだと気付いてほしいです。

「根は良いやつだから」というフォローが入る時点でマイナス評価がついているというのと同じ。根が無毒でも茎や葉に毒があるならフォローにならない。理由付けしないと善とできない親は悪なんですよ。少なくとも子にとっては。

ちょっと心配性なだけの親が、20過ぎた子の行動を制限しますか?
育ててくれたからって何をしてもいい?
暴力されたわけじゃないからってあなたばかり泣くのは正当?
今一度考えなおしてみてほしいです。

それから無毒化できる場合もありますね。物理的な距離というのが代表的なものですけど、一人暮らしを始めたら家族関係が良好になったっていう話は多いんです。これはたぶん親離れ・子離れに成功できたパターン。共依存タイプの毒家庭はこれが効くとおもうけれど、そういう家庭は特に子が親に抑圧されて家から出る選択をできないから難しいですね。

完全に絶縁するべき毒親と、物理的な距離をとることなどで無毒化できる毒親がいます。脱毒親は必ずしも親との絶縁だけではないことも知っていてくださいな。

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